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「線路脇の畑」で思い出したこと

Cekebrate

大谷翔平 3号本塁打
イラスト著作:「無料イラスト素材はちドットビズ」
https://ha-chi.biz/
 
今日の釧路
2026年4月7日(火)
 日の出 4:55
 天気 (5:00) 雨
 気温 (5:00) 2.5℃
 気圧 (5:00) 1002.7hPa
 予報 -
 予想最高気温 -
 記載時刻 15:20


今日の釧路は雨です。15時までの最低気温は1.8℃、最高気温は5.2℃です。

ラジオで聴いた「きょうは何の日」。82年前(1944年 昭19)の今日、戦争遂行を目的に組織された「大日本青少年団」は、食料確保のために道路脇、線路脇の土地を畑にすることを始めたそうです。

Googleストリートビュー

この「線路脇を畑」で思い出しました。上のGoogleストリートビューの場所は、「雄鉄線通」です。雄別炭鉱(ゆうべつ:現在の釧路市阿寒町にあった炭鉱)と釧路を結ぶ雄別鉄道の線路跡に造設した道路です。

ここに線路があった頃、その脇にはずら~っと畑が並んでいました。私が小5の時に雄鉄線の近くに引っ越した1962年(昭37)から、雄別炭鉱が閉山になった1970年(昭45)まで、毎日のように目にしていました。通った中学と高校も雄鉄線沿いにあったからです。

畑は、きれいに区画されていて、野菜、花、色とりどりでした。その耕した土地は、雄別鉄道の所有だったはずです。でも、やかましいことを言わずに"黙認"していたのだと思います。

畑の区画(広さ)はどうやって決めたのか?越境して生育した野菜や花はどうしたのか?既存権優先で新参者は区画を得ることができなかったのか?これらの調整、苦情対応を担う人はいたのか?・・・等々、今なら考えてしまいすが、昭和30・40年代は、その辺りは、世間全体がなんとなく鷹揚に構えていました。長閑なものでした。

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