東京五輪開催直前(東京2020に非ず)
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今日の釧路 | 10月3日(木) |
日の出 | 5:22 |
天気 (5:00) | 曇り |
気温 (5:00) | 13.7℃ |
気圧 (5:00) | 1018.6hPa |
予報 | 曇り時々晴れ |
予想最高気温 | 20℃ |
記載時間 | 11:10 |
イラスト著作:「無料イラスト素材はちドットビズ」
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今朝の釧路は曇りです。11時の気温は17.0℃です。
60年前の今日(1964年 昭39 10月3日)、日本武道館がオープンしています。1週間後に開幕した東京五輪で初採用された柔道の会場でした。その五輪、無差別級決勝で神永昭夫がアントン・ヘーシンク(オランダ)の抑え込みに屈した時は悔しかったです。柔道で日本が負ける、その悔しさでした。
でも、その後、ヘーシンクはこの試合で、日本人選手同様に柔道心得を体現していたことがクローズアップされました。勝利の瞬間、ヘーシンクに駆け寄ろうとしたコーチ陣を制していたのです。「礼にはじまり礼に終わる」、「畳の上は神聖なるもの」、その顕れでした。それを知ってから、そして、ヘーシンクがプロレスラーとして活躍するのを見て、親日家であるヘーシンクを応援するようになりました。
日本武道館オープンの日を取り上げたラジオ番組では、東京五輪に向けて完成したほかの建物や運用開始になった事柄を挙げていました。新幹線、首都高は知られています。私は、国立競技場も代々木競技場と一緒に東京五輪のために建設されたと思っていたのですが違いました。東京五輪の6年前に開催されたアジア競技大会に向けて建てられてものでした。もっとも、その一番の目的は五輪開催能力を示すことにあった、とのことです。
あと、渋谷公会堂も重量挙げ会場として建設されたものでした。渋谷公会堂といえば、日テレ系の「NTV紅白歌のベストテン」が堺正章さんともども思い浮かびます。それから、東京モノレールも東京五輪開催に合わせたものでした。
ここまで挙げた建物などのうち、新幹線は釧路のUターン後に経験しました。首都高は免許を取得した1973年(昭48)から2年間、日々利用していました。国立競技場はラグビー観戦、代々木競技場は東京体育館と間違っていったことがあります。1970年(昭45)に一緒に上京した友人二人が、代々木ゼミナールに通うことになって、その入学式会場が東京体育館だったのですが、なにせ田舎者なので、「国立競技場の近くの体育館ならあの代々木競技場のことだべ」てな感じでいったら違いました。渋谷公会堂は近くを何度も通りましたが、入ったことはないです。東京モノレールは羽田空港往来の度に乗りました。
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