53年前とそれから29年後の話
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今日の釧路 | 10月27日(金) |
日の出 | 5:50 |
天気 (5:00) | 曇り |
気温 (5:00) | 8.1℃ |
気圧 (5:00) | 1007.0hPa |
予報 | 曇り |
予想最高気温 | 14℃ |
記載時間 | 13:40 |
イラスト著作:「無料イラスト素材はちドットビズ」
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今朝の釧路は曇りです。13時の気温は13.0℃です。
昨日は、ジェリー・ウォレスの「男の世界」を聴いた話でした。今日は、トワ・エ・モワの「空よ」です。昨日のNHK-FM「歌謡スクランブル」は『やすらぎのメロディー(1)』でした。その1曲目が「空よ」でした。この歌を初めて聴いた時のことを憶えています。
1970年(昭45)3月下旬、釧路から、特急おおぞら、青函連絡船、寝台急行八甲田と24時間かけて上野に着き、そこから、山手線、中央線で新宿に出て、さらに小田急線の大根駅まで1時間くらいかかって、神奈川県の秦野市南矢名67にあった学生アパー「大根荘」に移り住みました。丹沢山塊が連なり、駅前の数軒の商店と学生アパートのほかは田圃という地でした。
何日かして散髪にいきました。閉店少し前の時間にいったのですが、3~4人の先客がいました。散髪台は2台あっても店主1人だけの理髪店でしたから、漫画本を読みながら順番を待ちました。散髪が終わって食堂に入りました。客はいませんでした。ここも店主1人だけでした。そこのテレビで見た(聴いた)のが、トワ・エ・モワの「空よ」でした。
食堂のメニューは少なく、定食を注文したのだと思いますが、食堂の侘びしい雰囲気そのままにアパートに戻る時、蛙の合唱に負けじと、耳に残った「空よ」をなぞりながら、田圃の道を歩いていたら、その水面に満月に近い月が映っていました。釧路には田圃がないので、その光景は初めてのものでした。以後、「空よ」を聴くと、この時の寂寥とした情景が浮かんできます。
それから29年後の1999年(H11)2月にこの地を訪れた時は、小田急線の駅名が変わり、大根荘と前述の理髪店、食堂もなくなっていました。田圃だった一帯は、住宅が軒を並べていました。「大改造!!劇的ビフォーアフター」でも、劇的変化は建物で敷地は変わりませんが、この時の変わりようは、自分が29年前のどこだった場所に立っているのか、皆目見当がつきませんでした。僅かに記憶と一致したのは、駅の近くを流れる川だけでした。
それから29年後の1999年から24年経ちました。再々訪しようと思っても、私は飛行機がダメですし、53年前のようにJRで上京というのも辛いですから、そうはないと思うのですが、もし、その時があったら、学食にいってみたいです。私は、ウズラのゆで卵入り蕎麦とチェリオが定番でした。
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