2309-2 白金野営場行
2023年9月24日(日)記載
9月16日(土)から18日(月)の3連休、妻は友人、同僚との白金野営場行でした。
↑ 今流行?のふたりソロキャンプ(テント別々)+1の図です。私のテントを妻、妻のテントを友人が使いました。同僚の方はテントを新たに購入したとのことです。2021年(令3)がキャンプブームの頂点(コロナ三密回避可のレジャーとしてキャンプ人口の増)で、コロナが落ち着き始めた2022年には、キャンプ人口が減少に転じた、とのデータがあるそうですが、それでも、秋のキャンプを楽しむ人は依然として多いです。そんな中の1グループとして、野営場を満喫した3日間だったようです。
妻が帰ってきたのと入れ替わりに、先週は私が白金野営場行でした。9月2回目、今季3回目でした。今回は滞在が短かったですが、充分、野営気分に浸ることができました。
↑ 今回はタープを張りました。秋は、予報にない俄雨(にわか雨)があるのと、日よけ用です。天気に恵まれたのですが、初日の夜、予想どおり?予報にない雨がきましたので重宝しました。
↑ 近年は、薪の焚き火が主流で、木炭は少数派になってしまいました。それでも、わが家は炭です。年代物のストーブと消し壺です。朝、炭を熾す時に消し壺で消火した炭を使うと着火と新しい炭への燃焼の伝わりも早いです。夜、焚き火の炎も良いのでしょうが、炭の静かな熾火もいいものです。
↑ 敬老の日と秋分の日の二つの祝日、それに土・日が加わって、"秋の大型連休 シルバーウィーク"ということなのですが、今年は秋分の日が土曜日と重なったので、火曜から金曜まで平日でした。なので、野営場は、妻たちがいった3連休からみたら空いていました。それでも、昔のように"貸切"とは違って、点在ですけどもテントはそれなりの数でした。
↑ 前回(9月9日)、クローズだった新星の丘(美瑛町)の「新星館」に行ってみました。今回は開館していました。3枚の画像のうち、一番上(建物)は前回いった時に撮ったものです。二番目(まん中)は、今回、敷地の中から撮った庭の向こうに十勝岳連峰という図です。三番目(一番下)の画像は2階の大きな窓からの風景です。
と、風景のことばかりですが、新星館は「須田剋太・島岡達三 美術館」と高山植物に山野草、そして岩庭園という構成です。須田剋太さんは、司馬遼太郎さんの「街道をゆく」の挿絵を描いた画家として知られ、新星館のオーナーの近くに司馬遼太郎さんが住んでいた縁でお二人と懇意だった、というお話を12年前(2011年8月)に妻と訪れた時に直接オーナーからお聞きしました。島岡達三さんは、人間国宝の陶芸家です。
↑ 美瑛駅に"いた"北海道軌道施設工業株式会社の「マルチプルタイタンパー」です。と、わかっている風のことを書いていますが、私は鉄道ファンではありません。たまたま、美瑛駅近くのセブン-イレブンで買い物をしたら、この車輌を撮影している人たちがいたので、近寄ってお話をお聞きしたら、「ここにいるのは珍しい」とのことで、私もカメラを向けました。その時、いろいろとお話を伺ったのですが、専門的過ぎて、私が理解できたのは、新幹線の「ドクターイエロー」みたいなもの、という程度でした。
で、検索してみたら、北海道軌道施設工業株式会社のホームページに詳しく掲載されていました。【引用開始】マルチプルタイタンパー:列車の走行等により徐々に線路に不陸が生じますが、このオーストリア製の大型特殊機械によりその不陸を一気に整正し、乗り心地の良い線路状態を維持しています。【引用終了】とのことです。ちなみに「不陸」は、広辞苑第七版によると、「ふ‐ろく 水平でないこと。床や壁の面が平らでないこと。」だそうです。
↑ セブン-イレブンから白金野営場への帰路、農道から撮った十勝岳噴煙の図です。車道の左車線にある矢印の影と画像上部にある道路の両端にある下矢印の標識は、国土交通省北海道開発局のホームページによると、「固定式視線誘導柱(矢羽根)」というもので、【引用開始】吹雪や降雪時の道路視認性を高めるとともに、除雪管理のための除雪幅を示すために、路肩に連続的に設置される施設である。【引用終了】とのことで、要は除雪する時に、「この矢印の下が道路の端だよ。矢印からはみ出したら、路肩に落っこちるよ」というものです。吹きさらしになると、どこが道路でどこが畑かわからなくなりますから、冬期間の道路維持には必須アイテムです。
↑ 十勝岳を望む、その名も「望岳台」から撮りました。白金野営場から、吹上温泉白銀荘で日帰り入浴する時は、望岳台入口を通過するのですが、ここに寄ったのは久々のことでした。
↑ わが家への帰路、JR池田駅前の「レストラン よねくら」に寄りました。好物の「バナナ饅頭」を買いました。今回は思い切って16個入りです。といっても¥1,240です。3枚目の画像は、バナナ饅頭の上にかかっているものです。池田駅開業が明治37年との記載があります。バナナ饅頭は、池田町観光協会のホームページによると、【引用開始】池田町のバナナ饅頭の歴史は古く、明治時代の末期に近い1905年に誕生しました。米倉屋の米倉三郎氏が池田駅開業に伴って考案した商品の一つで(後略)【引用終了】とのことです。1905年は明治38年ですから、池田駅開業直後から存在する118年の歴史がある菓子です。私が最初に食べたのは、一番古い記憶では7歳頃ですから、65年前からの好物です。
今回の白金野営場行は、急遽、今シーズンにもう一回いってみようかな、で行ってきました。浪々の身ですから縛られるものがありません。ということで、来年は2回、3回と言わず、1週間、10日と言わず、もっと浪々の身ぶりを発揮しようと思っています。
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