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不公平だ!

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2023年(令和5年)
 今日の釧路 8月3日(木)
 日の出 4:15
 天気 (5:00) 曇り
 気温 (5:00) 21.5℃
 気圧 (5:00) 1002.7hPa
 予報 曇り
 予想最高気温 26℃
 記載時間 11:40


20230803
イラスト著作:「無料イラスト素材はちドットビズ」
https://ha-chi.biz/


今朝の釧路は、晴れたり曇ったりでしたが、予報どおり雲が優勢になってきました。11時の気温は24.2℃です。

釧路の小学校は、7月22日(土)~8月17日(木)が夏休みです。私が、もし今の小学生だったら、間違いなく7月22日(土)は、元々休みなのにズルい!と発すると思います。24日(月)からにするべきだ!と、こっそり学級日誌に書き込むと思います。教師から叱られるのは日番ですから、赤鉛筆(今は小学生でもボールペンを使うのかな?)で、大っきく書いたと思います。

ただ、2学期の始業式が木曜日というのは歓迎で、始業式は宿題がどうしたこうしたで終えて、金曜日をやり過ごしたら、また土・日と休みです。だいたい、小3の頃から、この辺りのことについては関心事でした。実際にある年の2学期の始業式の日がたまたた日番だったので、「冬休みまであと〇日」と学級日誌に書いて叱られた、という話は前も書きました。

夏休みというと、思い出すのは小3・4年を過ごした柏木小学校でのことです。1960・61年(昭35・36)ですから、60年以上前のことですが、しっかりと記憶に留まっています。それは、登校日と始業式における教師の不公平な扱いについてです。柏木小学校の校区には、国の官公庁の職員住宅がありました。概ね2~3年すると、次の異動地に越していきます。で、夏休みの登校日、始業式に欠席するのです。これは、後からわかったことですが、親が内地の学校の夏休み(8月末まで休み)に合わせて行動(旅行や親の実家帰り)したからです。

でも、教師はそのことを咎めませんでした。治外法権です。これは、我々は理解できませんでした。不公平です。当時、今でいう"大人の事情"に考えが及ぶはずもなく、なんで?どうして?という気持ちでした。ただ、彼ら彼女らは、クラスメートの間でも別格扱いでした。

なんせ、勉強が出来る出来ないのレベルでない、服や靴も継ぎ接ぎ(つぎはぎ)がない、当時、ゴム短(ゴム製の短靴:三ツ馬、弘進、アキレス等)は、穴が空くと自転車屋さんでゴムを貼って(タイヤのパンク修理と同じ)もらって履き続けましたが、彼ら彼女らは、ゴム短そのものを履かない、彼女らは、我々に「あなた」なんて呼びかけてきて、ドキッとさせる(我々の間で、『あなた』は妻が夫以外に用いる言葉でなかった)てな具合でしたから、当人に向かって「不公平だ!」なんてことは言えず終いでした。

なぜ、このことが小3・4年の柏木小学校に限った思い出かというと、1・2年の湖畔小学校の時は、オール太平洋炭鉱でしたから、治外法権なんてもんでなく、学校どころか地域全体が、学卒(それも東大卒が普通にいたようだった)職員はその家族、社宅地区など、全~部が区別されていましたから、特別扱いが普通で、疑問が生じませんでした。その点、柏木小学校は、表向きは同等に扱っていたので、不公平だという気持ちになったのだと思います。

そして、5年生になる時に転校した光陽小学校は、中心地から離れた郊外のそれも端のほうで、春になって雪が融けて道路が泥濘む(ぬかるむ)と、路線バスが運行を回避するような所でしたから、公務員住宅も東京に本社があるような大きな会社の社宅もなかったので、何もかも皆~んな一緒でした。光陽小学校は、校歌も体育館もない新設校だった、というのは前にも書きました。というか、今日書いたこと全部が前にも書いたことのような気がします・・・。

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