日比谷公園と食堂の話
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今日の釧路 | 8月5日(土) |
日の出 | 4:17 |
天気 (5:00) | 曇り |
気温 (5:00) | 19.7℃ |
気圧 (5:00) | 999.8hPa |
予報 | 曇り時々雨 |
予想最高気温 | 23℃ |
記載時間 | 10:20 |
イラスト著作:「無料イラスト素材はちドットビズ」
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今朝の釧路は曇りです。10時の気温は20.3℃です。
今朝は涼しいです。昨日までは、全部屋の窓を開けて網戸で過ごしていました(エアコンがない)が、今朝は、階段と台所だけを網戸にしています。予想最高気温も23℃と釧路らしくなっています。
北海道新聞のコラムによると、日比谷公園が開園120年を迎えたとのことです。検索してみたら、東京都公園協会のHPに1903年(明治36)6月1日開園とありました。【引用開始】日比谷公園は幕末までは松平肥前守をはじめとした大名屋敷があり、明治になってからは陸軍練兵場として使用されました。 その後の市区改正設計(都市計画) において、政治・経済・文化の中心たる首都東京にふさわしい、近代的な公園の誕生が強く望まれるなか、 本多静六博士によって設計され、造成されたのが日比谷公園です。 【引用終了】とのことです。
私が上京(正確には、1970年[昭45]3月末、丹沢山塊連なる神奈川県秦野市南矢名67に移転)した時、早い時期にいったのが、有楽町のニッポン放送でした。哲ちゃん(今仁哲夫さん)の「オールナイトニッポン」を聴いていたので、行ってみたかったのです。その時、あてもなく歩いていたら、帝国ホテルがあって、これがあの帝国ホテル!とビックリしたら、すぐ近くに日比谷公園があって二度ビックリでした。
その年の秋からは、毎週のように日比谷公園を訪れるようになりました。目的は公園内の図書館でした。正確には図書館の食堂でした。廉価で美味しかったです。今でも憶えているのは、そこの従業員さんに女優の宮〇ま〇子さん(同年代以下の人たちは知らないかも)によく似た方がいたことです。ただ、お歳が違うので本人でない(そりゃそうだ)ことはわかりましたが、そりゃ~もう、なんと申しましょうか、ホントにそっくりでした。
あと、日比谷公園というと、沖縄返還協定に発する暴動で松本楼が焼き打ちに遭ったこと、昼休みには、近くの官庁や会社の人たちが、ベンチで昼食を摂っているのが、森繁さんの社長シリーズ、植木等さんの無責任シリーズの映画で見たのと同じ光景だったこと、バイト仲間に公園の目の前のビルが、マッカーサーがいた第一生命ビルだと教えてもらって、感動というのとは違う不思議な感覚を覚えたこと、てなことを思い出します。
日比谷図書館の食堂以外では、新宿の三平食堂、神田のいもや(トンカツのほう)なんかに通いましたが、圧倒的に多かったのは、外神田3丁目(秋葉原)のあきば食堂でした。バイト(その後社員)の事務所が、すぐ向かいでしたから、ほぼ日参状態でした。棚に置かれたおかずを選んで食べる方式でしたが、私はけんちん汁の日でも別に味噌汁を取る変な客として、食堂のおばさんにインプットされていました。
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