2306 白金野営場行
2023年6月25日(日)記載
先週は、白金野営場行でした。趣味「ジャズと野営」なんて言いながら、2012年(H24)以来ですから、約11年ぶりです。妻は、欠かさず年に2回はいってますが、今回は職場の旅行で九州から帰ってきたばかりだったので、私一人のキャンプになりました。
==白金野営場==
妻が親しくさせていただいているお二人の管理人さんにご挨拶ができました。大谷翔平談義で盛り上がりました。お二人は、ここを訪れるキャンパーから信頼される存在です。
↑ テントからの風景です。画像中央にあるのは水道の蛇口です。
↑ 水道蛇口のアップです。管理人さんが設置したものです。元々は、ここに水場がありました(下の画像)。それが朽ちて、雪の重みで崩壊したそうです。これはこれで孤高感があってグッドです。
↑ 在りし日(2011年 H23年8月)の水場です。
↑ 日中、木陰から見上げた図です。雲がゆっくり動くのを眺めたり、ラジオを聴きながら本を読んだりで過ごしました。
↑ 夜は、ただ炭の火を見ながら、星空を仰いだりの時間です。今、キャンパーで炭を熾す人は少ないです。というか、薪のたき火ばかりです。
↑ 広いサイトに15~16組だけのキャンパーですから、お向かいさんも遠いです。
↑ お向かいさんの画像を無料で拡大できるサービスを利用して4倍にしました。ランタンの下で過ごされていました。
==以前のキャンプと違うこと==
1.写真(カメラ)熱
以前は、とにかく写真を撮りましたが、今回は、ぐ~たらキャンプの極みでした。写真(カメラ)熱は冷めました。上の数枚の画像はiPhoneで撮ったものです。
↑ 帰路、初めてデジカメで撮った「布部駅」です。
↑ 駅舎の前に設置された「北の国 此処に始まる 倉本聰」の書です。
↑ 五郎さん、純、螢が降りたったホームです。
↑ 駅舎をホーム側から見た図です。草太兄ちゃんが、ホームの3人に向かって「こっち こっち」と出迎えました。
2.食事
キャンプの愉しみといえば美味しい食事ですが、今回、期待どおりだったのは、後述の「ヴレッジ432」だけでした。美瑛では、ホタテのバター焼きを愉しみにしていたのですが、コロナ禍で海鮮品の問屋さんが廃業したとのことで、メニューから消えていました。旭川のとんかつ屋さんは、う~む・・・でした。同じく旭川の蕎麦屋さんでは、海老天丼を注文して箸袋を見てビックリ、釧路のお店(釧路では蕎麦屋さんではありません)でした。店名は異なっていたので気づきませんでした。これまた残念!
↑ 蕎麦といえば、今はもうない狩勝峠にあったその名も「狩勝峠そば」です。今は、お土産屋さんも入った建物ごと閉鎖されています。
↑ 「狩勝峠そば」は美味しかったです。個人的には、今、観光バスも立ち寄る「新得そば」を看板にしている店よりも好きでした。
↑ 今回、唯一、期待どおりに美味しかった新得の「ヴィレッジ432」の「Dランチ 牧場の盛り合わせ」です。富良野・美瑛行の時には欠かせない美味なる一品です。
3.老い
木陰で本を読みながら、自分の手のしわを見ました。初めて白金野営場を訪れたのは、1987年(昭62)7月29日でした。36歳の時です。それから35年経ちました。来月で72歳です。
当時はキャンプブームが始まった頃でした。テントサイトはコールマン一色でした。そして、ソロキャンプは、山登りをする人、ライダーに限られていました。そんな中、日が高くなっても出かけないキャンパーは怪しまれました。というのも、ちょうど、道内を泥棒行脚しながら、キャンプ場で寝泊まりしていた犯人が中標津のキャンプ場で捕まったことがあったからです。
11年ぶりのソロキャンプは、しっかりと市民権を得た存在となっており、怪しまれることもありませんでした。グループでキャンプをする人たちもテントは一人一人でした。キャンプもすっかり様変わりしました。
そんなこんな、自分も歳を取りました。あと何年来られるのか、そんなことも思いましたが、医師に言われた「健康でないけど元気な老人」を出来る限り続けて、白金野営場に通い続けたいと思います。
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