それなりの立場であろうあの人が満面の笑みで・・・
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今日の釧路 | 2月18日(土) |
日の出 | 6:17 |
天気 (5:00) | 晴れ |
気温 (5:00) | -6.7℃ |
気圧 (5:00) | 1012.8hPa |
予報 | - |
予想最高気温 | - |
記載時間 | 17:40 |
今日の釧路は概ね晴れた。17時までの最低気温は-7.6℃、最高気温はプラスの2.9℃。
日本のロケットH3の打ち上げが失敗した。直前にテレビで、相次ぐ打ち上げ延期から、25秒の燃焼実験をクリアするまでを追った番組を見ていたので、今回はこれまで以上に関心事だった。それだけに残念だ。規模は違うけど、十勝大樹町でのロケット打ち上げの時は、ギャラリーが、発射を見守るように見つめ、成功した時は大きな喜びを表していた。次は、ぜひ、種子島のご本家にもそう願いたい。
1964年(昭39)東京五輪の聖火を空輸したのがYS-11だった。日本が開発した旅客機YS-11は、新幹線、高速道路ともども、戦後復興を象徴する存在だった。そして、この後は、航空機産業も欧米に追いついて、やがては世界のトップランナーとして君臨・・・漠然とそう思っていた。
それがそうはならず、先日は三菱重工が国産ジェット機開発から撤退した。原因は何なのか?開発費不足、技術者の海外流出、本気度不足・・・その辺りのことは、自分には全くわからないが、東京五輪当時の日本、高度成長期の日本、それを経てきた身としては、こんなはずでなかった、と思うだけだ。H3の開発環境は、国産ジェットのそれとは違うと思うけど、打ち上げ失敗で会見したそれなりの立場の人が、次は満面の笑みで会見に臨む結果になってほしい。
ところで、種子島宇宙センターというと、自分が高校生の頃(1967~1970年 昭42~昭45)、昭和の爆笑王といわれた三平さんが、ロケット打ち上げをまくらのネタにしたことがあった。今回のように打ち上げがうまくいかなかった時のネタだった。当時の打ち上げは、同じ種子島でも今回とは違って、内之浦発射場だった。で、「アメリカは打ち上げに成功したのに、どうして日本はうまくいかないんだ?」「そりゃそうだよ、アメリカはケネディ宇宙センターって立派なところで打ち上げるけど、日本は家(うち)の裏でやってんだもの」
こう書くと、なんだそれ?となるが、これを三平さんがやると、ホントに面白かった。そして、「お客さま、え~これを説明しますとですね」で、もう一度笑いをとり、「次はもっと面白くなりますから」でも笑わせた。
落語のネタなんか持ち出して、ホントにH3の打ち上げが成功してほしいって思っているの?と言われそうだけど、今回、会見したそれなりの立場の人が、「大勢の人たちに見守っていただいたのに・・・」と発したところで詰まって、涙ぐみながら「私たちも口惜しいです」と言ったのが実感がこもっていたので、来月10日までの調整が順調に進んで、次こそうまくいってほしい、とホントに願っている。
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