今日もローカル(釧路)昔話
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今日の釧路 | 12月30日(金) |
日の出 | 6:53 |
天気 (5:00) | 晴れ |
気温 (5:00) | -5.3℃ |
気圧 (5:00) | 1011.0hPa |
予報 | 晴れ時々曇り |
予想最高気温 | 1℃ |
記載時間 | 11:20 |
今朝の釧路は晴れです。11時の気温は-1.3℃です。
パソコンに向かいながら(所属する会の引継書作成)ラジオを聴いているだけでも、暮れが押し迫る感じが伝わってきます。そして、この雰囲気になってくると、釧路の街が賑わっていた頃の光景が浮かんできます。歳末大売り出しです。中心街だった北大通り("ほくだい"通りに非ず)、南大通り、駅裏の共栄大通、それに炭鉱と製紙工場の城下町、何処も大勢の人が往き来していました。
非常勤職員の控室で、この時期の話になって、「百貨店の丸三鶴屋を中心に周辺一帯が人で埋め尽くされていた。同級生と会っても立ち話も出来ないくらいの人の流れだった。和商市場は魚介類が溢れて、鯨(くじら)の肉なんかは、通路に新聞紙を敷いて置いてあった。」と言っても、近年の釧路しか知らない人には信じてもらえません。でも、ホント、そうだったのです。
昨日も書きましたが、高校生の頃(50年以上前)、正月映画を見に町に出て、帰りに山下書店で本を買って、泉屋でミートかピカタ(薄い卵焼きの下にチャーシュー)あるいは泉屋風(塩・胡椒味)のスパゲッティ(その後、スパカツが有名になったが、我々の時はミート、ピカタ、泉屋風が三強だった)を食べるのが定番でした。映画館も書店も泉屋も混み合っていました。至るところが活気に満ちていました。
もっと前、親に連れられて町にいっていた頃(60年以上前)は、年末の人でごった返すようすが怖かったです。小心者の私は迷子になることが、この世の終わりくらいに恐れてましたから、親にピッタリくっついていたのを憶えています。ただ、その怖さも夢の外食タイムになると忘れました。八まき(寿司)、八宝園(中華)は、どちらに入っても、寿司と中華の両方が注文できましたから、一粒で二度おいしいアーモンドグリコの上をいっていました。まさに夢心地でした。と、今日も昔話でした。
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