161年前からあったんだ
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今日の釧路 | 6月22日(水) |
日の出 | 3:43 |
天気 (5:00) | 曇り |
気温 (5:00) | 13.9℃ |
気圧 (5:00) | 1008.6hPa |
予報 | 曇り一時晴れ |
予想最高気温 | 18℃ |
記載時間 |  7:10 |
今朝の釧路は曇りです。7時の気温は15.0℃です。
昨日は、天気も良く、今季最高の23.6℃まで気温が上がりましたので、外出先は半袖、家ではTシャツで過ごしました。今日は、天気にここは釧路だと気がつかれてしまったようで、また予想最高気温は20℃を切っています。
ラジオで聴いた「きょうは何の日」。161年前(1861年 文久元年)の今日、長崎の出島に日本初のボウリング場が出来たことから、今日は「ボウリングの日」だとのことです。
ちょっと驚きです。日本初のボウリング場が、明治以前にあったのです。検索してみたら、埼玉県ボウリング協会のホームページに詳しく掲載されていました。ボウリング場は、軽い飲食もできるスナックバー風のサロンだった、とありました。
ボウリングといえば、我々世代は夢中になった時がありました。70年代初めの大ブームです。テレビでは、中山律子さん、矢島純一さんといったプロボウラーが俳優・タレントを凌ぐ人気。特に中山律子さんはCMにも登場するなど、時の人でした。
都内のボウリング場は、どこも2~3時間待ちが普通で、携帯電話がない時代ですから、いつ呼ばれるかは自分たちで推し量るしかなく、待ち時間をどう過ごすかが、ボウリングにいった時の悩みでもありました。
75年(昭50)に釧路に帰った時には、既に世の中のボウリング熱が冷めて、ボウリング場は閉鎖され、看板代わりの大きなピンだけが寂しく残る光景が、郊外や地方の町にもありました。
一応、私もマイボール、マイシューズを購入して、上野ホワイトボールで202点をあげて、暫くの間、200点以上得点者一覧に名前があったこともありましたが、10年後くらいに職場のレクレーションで行った時は、130点台しか出せず、それが最後になっています。
そういえば、私たち夫婦の結婚披露宴の会場も、ホテルのボウリング場跡を改装したものでした。当時(昭和50年代前半)、北海道では、普通のサラリーマン家庭であっても、披露宴は会費制で200人集まるというのが一般的でしたから、広いボウリング場は、そのまま宴会場になったのです。
それから、職場や町内会のレクレーションのボウリングというと、その案内に「ボーリング大会」とあって、『おいおい、どこに穴掘るんだ?』なんてことが度々ありました。今なら、聞いても読んでも意味がわからないカタカナ言葉が溢れていますが、当時はまだ、「グローバル」も使われていない頃だったと思うので、こういうチェックが入ったのだと思います。
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