やっぱり、その気がなかったとしか言いようがない
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今日の釧路 | 3月14日(月) |
日の出 | 5:37 |
天気 (5:00) | 雪 |
気温 (5:00) | -0.4℃ |
気圧 (5:00) | 1017.3hPa |
予報 | 曇り |
予想最高気温 | 4℃ |
記載時間 | 8:20 |
今朝の釧路は雪がちらついています。8時の気温はプラス0.4℃です。
ラジオで聴いた「今日は何の日」。52年前(1970年 昭45)の今日、大阪万博が開幕(一般公開は翌日から)しています。太陽の塔、月の石、各国のパビリオン、人が殺到しないように、横に広がった行列の先頭を警察官が一列に手をつないで誘導する映像、といったことが浮かびます。
開幕して2週間後に、釧路から神奈川県秦野市南矢名67の学生アパートに越しました。釧路からみると、格段に大阪に近づいたのですが、それでも、万博にいってみようという気にはなりませんでした。距離というよりも、新宿に出る→東京駅にいく→新幹線に乗るというイメージすらなかったです。
それで、万博の話題一色だったかというと、引っ越してすぐに「よど号ハイジャック事件」が起きたのです。なので、学生アパートの思い出は、この事件から始まります。
そして、入学式が終わってすぐに70年安保の学生運動で大学がロックアウトになり、それが長期化しそうな様相を呈して、GWが近づくと、出身が西の連中は、大阪で万博を見てから田舎に帰る、といった話になりました。でも、同じアパートの1年先輩の従兄弟や川崎の新丸子にいた友人ともども、24時間かけて釧路に帰省する気にもなれず、夏休みまでアパートに留まりました。
36部屋の住人のほとんどがいない、がら~んとしたアパートで、食っちゃ寝の生活でした。それでも、従兄弟の部屋で万博のニュースを見ながら、ただの一度も「いってみるか」とならなかったのは何故でしょう?金がなかった、というよりは、やっぱりその気がなかった、としか言いようがありません。
あと、万博というと、姉・兄から受け継いだ小さな冷蔵庫に「EXPO '70」のシンボルマークのシールが貼ってあったのを覚えています。テレビも炬燵もなかったのですが、冷蔵庫はありました。冷蔵庫を持っているのは珍しく、インターチェンジのレストランでバイトをしていた先輩が、肉を持ってきてくれたり、パチンコの戦利品として缶コーラを持ってきてくれる住人がいたりして重宝しました。
今、大阪知事は、会見に「EXPO2025」のジャンパー姿で現れますが、そこにはロゴマークはなかったと思います。一度、ネットでそのマークを見たのですが、そりゃ~もう、なんと申しましょうか、愛嬌があるというか、わくわくしながら万博を見物する人の姿をズバリ表現しているとでもいうか、とにかく、52年前の大阪万博よりも、ずっと、ず~っと、日本ではなく大阪で開催されることをアピールしているのだと思いました。
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