メロホンにトタンペットだぞ
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今日の釧路 | 3月30日(月) |
日の出 | 5:08 |
記載時間 | 9:50 |
天気 (記載時間) | 快晴 |
朝の気温 (5:00) | -3.7℃ |
朝の気圧 (5:00) | 1022.7hPa |
予報 | 晴れ |
予想最高気温 | 6℃ |
今朝の釧路は快晴です。9時の気温は2.9℃です。
NHK連続テレビ小説「エー♩レ」が始まりました。冒頭に拓郎さんの「ある雨の日の情景」が流れたので、ちょっと驚きました。拓郎さん初期のアルバム「人間なんて」の収録曲です。
イントロは『♪ バスが停まって』です。Wikipedia情報によると、シングル「結婚しょうよ」のB面だったとのことです。「ある雨の日の情景」は、最近ではライブの中でメンバーと一緒に歌っている映像を見た記憶があります。
「エー♩レ」は作曲家の古関裕而さんを描いたものですが、今日は自身が作曲した「オリンピックマーチ」が国民に受け入れられるか気になって、国立競技場でうろうろという場面でした。
このシーンは、1964年(昭39)10月10日のことですが、それから4年後に私は「オリンピックマーチ」吹いた記憶があります。「吹いた」というのは、高校の吹奏楽部で、先輩が書いた楽譜で「吹いてみた」ということです。披露に至った覚えはありません。
当時(昭和40年代前半)、楽譜は高価なものでした。生徒会が割り当てる予算は楽器の更新に充てられましたから、楽譜を買うのは「港まつりパレード」に参加した時に得られた謝礼が元手でした。
あの頃の釧路は、水産がまだまだ元気だった頃ですから、企業の寄付も集まって「港まつり」は盛大でした。ですから、謝礼も破格の5000円だったという記憶があります。もちろん一人ではなく、吹奏楽部全体です。
吹奏楽部は、今のようなコンクール至上主義ではなく、第一に野球の応援でした。そのためには、マーチと流行歌、それに映画音楽にマンボといったレパートリーでした。
記憶にあるのは、スーザのマーチ、「小指の想い出」、「星のフラメンコ」、「栄光への脱出」、「キャラバン」、「闘牛士のマンボ」、「マンボNO5」といったところです。
それでもってレベルはというと、今の小学生の器楽部のほうが、ず~っと上です。今の吹奏楽部にホルンはあたりまえですが、我々の時代はピストン右手のメロホンでした。トランペットもピカールで磨くのでトタンペットと云われていました。なんたって、東京五輪から4~5年後の話です。
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コメント
私の通ってた高校の吹奏楽顧問は「コンクール否定派」で全吹連にも加盟していませんでした。
演奏のメインは卒業式での開式音楽と卒業生送り出しの演奏、そして文化祭でした。
卒業式の開式はクラシック音楽で顧問の編曲によるもの。マイスタージンガーとかフィンランディアとかです。
卒業生送り出しはその年に流行った流行歌で送りだします。私の卒業した年は「勝手にシンドバット」でした。
文化祭のレパートリーは同じく「栄光への脱出」、「キャラバン」、「闘牛士のマンボ」、「マンボNO5」は定番で、代わりに「木綿のハンカチーフ」や「宇宙戦艦ヤマト」キャンディーズ・ピンクレディーなどです。
男子校なので常に部員不足でOBの応援なしには演奏できないバンドでした。
投稿: 長老みさわ | 2020年3月30日 (月) 15時46分
ご長老
硬派の顧問だったのですね。
釧路のような田舎では、第三者の審査員を招くことができなかったので、
身内が身内を審査ですから、忖度オンパレードでした。
なので、顧問を有さない私たちは出場しなくても結果がわかっていました。
キャンディーズ、ピンクレディーは、ブラスバンドにはぴったりですね。
私が通った高校は、女子高30年を経ての男女共学でしたが、吹奏楽部の同学年には女子がいませんでした。まだ、女子には健康上の理由でトランペットが非推奨という時代でした。
投稿: 心太@釧路 | 2020年3月31日 (火) 09時59分