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「男はつらいよ お帰り寅さん」

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 今日の釧路 1月14日(火)
 日の出 6:51
 記載時間 7:50
 天気 (記載時間) 晴れ
 朝の気温 (5:00) -6.3℃
 朝の気圧 (5:00) 1018.9hPa
 予報 晴れ時々曇り
 予想最高気温 0℃


今朝の釧路は晴れです。7時の気温は-7.3℃です。

映画「男はつらいよ お帰り寅さん」を見てきました。これで、全50話を映画館で見たことになります。1969年(昭44)の夏、高3の時に第1作を見ました。それがヒットしたので、その後の半年の間に第4作まで公開になっていますが、そこまでは1人で釧路劇場で見ています。

第5作目(1970年 昭45 夏)から第14作目(1974年 昭49 夏)までは、東京で友人Y・S、K・Kらと一緒に見ています。

そして、第15作以降は再び釧路で見て、第17作(1976年 昭51 夏)からは家内と一緒に見ています。

満男が小説家になったこと、妻を病死で失ったことの2点については、テレビで山田洋次監督へのインタビュー番組を見たので知っていました。ただ、靴問屋のセールスとして、このままサラリーマンが勤まるのかな?と思わせた満男だったからといって、いきなり小説家というのは、ちょっと違和感がありました。

でも、映画のシーンで、さくらさんが満男に父親(博さん)と向き合って話をしたことがあるか?と問うたら、満男は「親父とそんなことしたことないよ、だって叔父さん(寅さん)がいたんだから。」と答えました。

それで、満男は寅さんに恋の悩みやを打ち明けたり、生きづらい世を嘆いたりしたこと、あるいは旅先で一緒に過ごしたことから、自由人寅の考え方、生き方に触れたことで、発想の多様性を養うことになり、それが小説家の道へとつながったのではないか?そんなことを思いました。

小説家といっても、まだ母親に食べていけるのか気を揉ませる存在ですし、第2作目を編集者に請われても躊躇する頼りなさもあります。そこが、満男らしいところであり、満男が小説家になったら、こんな感じなんだろうと思わせました。

「くるまや」は喫茶店になって、店長は団子屋から店員だった「さんぺい」ちゃんです。そして、店の奥には、おいちゃん、おばちゃんが亡くなってから、博さんとさくらさんが住んでいます。江戸川河川敷近くの建て売り住宅は、回想シーン以外には登場しませんでした。

裏の朝日印刷は、タコ社長の娘(あけみ)もその息子も継いだ風はなく、博さんもネクタイを締めて表から帰ってくる(朝日印刷だったら裏から作業服で帰ってくる)ので、廃業したのだと思います。ただ、くるまやとの間の木戸はあるので、あけみやその息子は裏に住んでいるようでした。

出演者も観客も老いています。回想の爆笑シーンがあっても、懐かしさが先になって、笑いとともに涙腺が緩みます。そして、くるまやの茶の間と台所の間にある段差に手すりがあるのは、なんとも現実的というか、長い時間が経ったことを実感させます。

そんな中で、倍賞千恵子さんは、とても自然な感じでした。さくらさんだったら、こういう歳の撮り方をするのだろうと思わせるそのままです。この作品の主人公は甥っ子満男ですが、「男はつらいよ」は兄の寅、妹のさくらの物語だということをあらためて感じさせました。

満男の吉岡秀隆さんも存在感のある役者です。個性が際立っています。彼を子役に起用したことで、この50作目が出来たとも言えると思います。

冒頭の歌は桑田佳祐さんです。寅さんを敬愛している感じが目一杯でていました。そして、エンドロールに流れるのは、渥美清さんの歌です。50年間、50作すべてが字幕とともに流れていく感じがしました。客電が点った時は、寅さんが元気だった頃、観客も若かった頃、「あ~見た、今度も面白かった」というのとは異なった雰囲気でした。

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