春闘で電車が止まったのはいつ頃まで?
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今日の釧路 | 4月14日(日) |
日の出 | 4:43 |
記載時間 | 8:50 |
天気 (記載時間) | 曇り |
朝の気温 (5:00) | 1.2℃ |
朝の気圧 (5:00) | 1018.4hPa |
予報 | 晴れ時々曇り |
予想最高気温 | 9℃ |
今朝の釧路は曇りです。8時の気温は4.5℃です。
今朝のNHK総合「さわやか自然百景」は、神奈川県小田原でした。私は何度か訪れていますが、自然探勝といった高尚なこととは無縁でした。目的は専ら朝食でした。
1970年(昭45)に同じ県内の秦野市南矢名に住んだのですが、早朝から営業する食堂がなかったので、小田急線で小田原まで出ました。寝ぼけ眼で水田の横を通って、商店街を抜けて電車に乗りました。
電車の所要時間は、30分くらいかかったと思いますが、小田原に着いて、どの食堂で食べたのか、何を食べたのか、といった記憶がありません。小田原駅に日本食堂があったのか、あるいは駅弁を買ったのか、その辺りのことも覚えていません。1回や2回ではなかったのに光景が全く思い浮かびません。
覚えているのは、そうやって朝食を摂って、また1時間近くかけてアパートに戻っても、周りの部屋は、まだ皆んな寝ていたということです。そして、自分もその後、また寝たと思います。
当時(昭45)、春闘で電車が動かないというのは年中行事だったのですが、この小田急線は影響がありませんでした。あと、都営もそうです。それに西武も電車を止めることがなかったです。なので、新聞に映画のタイトルを捩って「西武線異状なし」といった見出しがついたことがありました。
春闘で電車が止まったのは、いつ頃までだったのでしょう?春闘のニュースといえば、通勤が電車に代わって車になるので大渋滞の幹線道路、そして、会社に寝泊まりする人のために貸布団屋さんが大忙しといった光景が映し出されていました。平成はバブルで始まっていますので、昭和の時代だったことは確かです。
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コメント
私が高校生の頃はまだやっていましたから1978年頃まではやっていた筈ですね。
国鉄がJRになって、国労・動労が解体したころにはやらなくなっていたのではないでしょうか。
メーデーの行事も社会党系のメーデーと共産党系のメーデーが分離して開催されて、それでも定時ニュースには両方取り上げられていたと思いますが、今年の5月1日にはきっとメーデーの記事は無いのではないかと思います。
投稿: 長老みさわ | 2019年4月15日 (月) 14時01分
ご長老
やはり昭和50年台まででしたね。
国労と動労は対応が分かれましたが、動労の動きには驚きました。
高校の先輩・同輩・後輩は、みんな国労だったので、人生が大きく変わりました。
メーデーも懐かしいものに変わりました。
5月1日に拘らなくなったあたりから、時代の流れが変わりました。
今年の5月1日は、正月みたいなものですものね。
投稿: 心太@釧路 | 2019年4月15日 (月) 15時45分