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両雄そろって創刊

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 今日の釧路  3月17日(日)
 日の出  5:32
 記載時間  17:30
 天気 (記載時間)   -
 朝の気温 (5:00)  -0.3℃
 朝の気圧 (5:00)  1011.0hPa
 予 報  -
 予想最高気温  -

今日の釧路は、晴れたり曇ったりでしたが、午後からは青空が広がりました。17時までの最低気温は-0.7℃、最高気温は4.7℃でした。

ラジオで聴いた「今日は何の日」。60年前(1959年 昭34)の今日、小学館から「週刊少年サンデー」、講談社から「週刊少年マガジン」、が同時に創刊されたそうです。この時代、まだ長閑だったので、ライバル誌が同時創刊なのか、それとも、どちらかが事前に情報を得て追いついたのか?Wikipedia情報には、サンデーが創刊を早めて、マガジンとの同時創刊になったとの記述がありました。

1959年(昭34)3月は、私が小学1年から2年に上がる時でした。当時、この両誌を読めるのは床屋さんでした。ですが、それまでの月刊誌と違って、週刊ですから、そうは床屋さんにも行かれないので、友だちの家を回ることになりました。ただ、「ぼくら」の月刊誌の時代は、発売日が待ち遠しくて、新聞代理店(月極購読をすると新聞代理店が自宅に配達してくれた)まで取りにいったものですが、週刊になってからは、そこまでの熱はなかったように思います。

少年サンデーで読んでいたのは、「スポーツマン金太郎」、「伊賀の影丸」、「おそ松くん」、「オバケのQ太郎」、「パーマン」、「もーれつア太郎」などがあり、少年マガジンでは、「ハリスの旋風」、「巨人の星」、「ゲゲゲの鬼太郎」、「天才バカボン」、「8マン」、「紫電改のタカ」などを読んでいました。人気があった「あしたのジョー」は、私が漫画雑誌を離れた後(高校生)でしたので、連載では読んでいません。

一番好きだったのは、「8マン」か「紫電改のタカ」といったところでした。というか、「8マン」はテレビのほうの印象が強いので、読んだということでは「紫電改のタカ」だと思います。

ならば、プラモデルも紫電改を買ったかというと、私は飛燕が好きでした。紫電改や零戦のように操縦席がポコッとした形ではなく、尾翼にかけてライン状になっているところがポイントでした。といっても、これは友だちの請け売りで、ホントのところは、そんなにこだわりがあったわけではありません。なんたって、プラモデルを作っても、設計図をじっくり見てというのが出来ずに、完成と思ったら、部品が余っていたというのが常でした。

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