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雪まつり

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 今日の釧路  2月2日(土)
 日の出  6:37
 記載時間  9:50
 天気 (記載時間)   晴れ
 朝の気温 (5:00)  -5.6℃
 朝の気圧 (5:00)  1001.7hPa
 予 報  晴れ
 予想最高気温  -3℃

今朝も釧路は、よ~く晴れています。9時の気温は-4.8℃です。

ラジオを聴いていたら、「さっぽろ雪まつり」が先月の31日から始まっていると伝えていました。あれ?全然、ニュースになっていないのでは?と思ったら、メーン会場の大通公園ではなく、サブ会場のほうでした。大通公園は、明後日の4日(月)から11日(月 祝日)まででした。

なぜ、月曜日の4日スタートではなく、2日(土)か3日(日)にしないのでしょう?10日(日)、11日(月 祝日)をはずせないとしたら、雪像管理のこととかで、会期8日間が最長ということなのでしょうか?はてな?です。

今年の雪まつりの話題といえば、終了後に雪像解体を見せるエリアの設置をやめたことです。大型重機で雪像を壊すシーンは、迫力があって観光客にも人気だったのですが、雪像スポンサーのJR貨物が、雪像が壊れる場面は、企業イメージにとってよろしくないとの意向を示したからだそうです。

なにを言っているんだか、そもそもJR貨物はスポンサーになっている余裕なんてあるの?と思ったら、ところがどっこい、もう何年も黒字経営で過去最高の収益更新を続けているとのことです。いや、JR貨物さん失礼いたしました。北海道でJRと聞くと、つい赤字とか〇正とか、そっちのイメージになってしまうもので・・・。ホント、失礼いたしました。

私は、雪まつりを見たのは2度だけです。1度目は1963年(昭38)、小学6年生の時に母親に連れられていきました。その時、札幌のデパートで買ってもらった東芝のトランジスタラジオを早く聴きたくて、帰りの汽車の中で開封して、スイッチを入れてチューニングしたら、ジェリー藤尾さんの「遠くへ行きたい」が流れたのを覚えています。そこから、ラジオとのつき合いが始まって今に至ります。ただ、雪像のことなどは、あまり覚えていません。

2度目は1998年(H10)でした。新しい事業所の認可を得るのに札幌出張をした時です。雪まつりに合わせた出張ではなく、終了日に札幌に泊まり、翌朝、監督官庁に出向きました。なので、ホテルも空いていましたし、最終日の雪像も見られて、翌日の解体も見ました。

当時は、解体見物エリアはなく、道行く人が足を止めて見ているだけでした。それでも、そこそこの人数がいて、怪獣映画を見ている感じでしたから、「お~っ!」という声が響いていました。JR貨物も経営が順調なのですから、太っ腹なところを見せて、解体見物を了承してもいいと思うのですが・・・。

それで思い出したことがあります。認可の件で話している時、すぐ近くの席で喧嘩が始まりました。一方が興奮状態で大声で糾弾するのに対して、受け側のほうは「なに言ってるの」といった感じで相手にしません。すると、怒っているほうは、さらに激高して・・・という状態でした。

でも、私に説明している人は、まったく無視。なにも見えない、なみも聞こえないという風に説明を続けました。私は、これは取っ組み合いになるのではと思いながら、目も耳もあっち8割、こっち2割の感じでいました。

でも、そのおかげというか、担当官の説明の始まりは、認可するにはまだ課題があるという話だったのですが、喧嘩が始まると、その課題の回答まで説明してくれて、その後、「わかりました。それはこちらで添付しておきます。了解です。認可の方向で進めます。」となって、あっさり終わってしまいました。

もし、あの喧嘩がなかったら、宿題を持たされて釧路に帰り、もう一度、出直さなければならなかったと思います。きっと、これは来訪者を早く帰してしまわないと・・・と思ったからだと思います。

それにしても、あの後、どうなったのか、あんなに大勢の人がいる事務所で、誰も止める人がいなかったのはなぜなのか?権限を持った人たちの集まりというのは、ホント不思議なところだと思いました。

小泉政権の規制緩和政策では、職場環境が一変する苦境に追い込まれた時もありましたが、同時にあの監督官庁から解放されましたので、それはホントにホントに喜ぶべきことでした。

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