働き方は終始一貫していた
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今日の釧路 | 12月29日(土) |
日の出 | 6:53 |
記載時間 | 10:20 |
天気 (記載時間) | 晴れ |
朝の気温 (5:00) | -5.1℃ |
朝の気圧 (5:00) | 999.8hPa |
予 報 | 晴れ朝晩曇り |
予想最高気温 | 0℃ |
今朝の釧路は晴れたり曇ったりです。10時の気温は-2.9℃です。
昨日、普段は接続していない保管用のHDDを覗いてみました。保管用といっても、これといったデータがあるわけではなく、単にPC買い換えの度に古いドキュメントや画像を置いておくだけです。
その中に2000年(H12)の画像がありました。
何を撮ったんだ?と、暫し考えました。SONYの通勤用ラジオ SRF-S83にPC用スピーカーを接続しています。日付は2000-12-30です。日記(ペーパー)をチェックしてわかりました。仕事納めの日、一人残りだったので、NHK-FMの「カウントダウン ビートルズ 13時間放送」を聴いていたのでした。
当時(18年前)は、旧親会社とまだ親会社、子会社の関係がありました。親会社は土・日が休日で、子会社は月曜定休+任意の曜日1日が週休でした。そして、仕事納めはともに30日でした。この年(2000年)の12月30日は土曜日でしたから、親会社は29日(金)に仕事納めでしたが、子会社は土曜は営業日なので通常どおり30日でした。
ただ、親会社が休んでいる年末に子会社を訪れる人はいません。それならば、子会社も29日に納めて、30日は保安要員一人だけ出勤すればいいじゃん。と、いうことで私の出番でした。保安要員といっても、警備員さんとボイラーさんもいましたから、電話1本かかってこない事務室で、昔話をしながら時間を過ごしていたことを覚えています。
このラジオは、その後、チューニングがガリガリいいだして、同じSONYのSRF-M97Vに代替わりしましたが、らじる★らじる や radiko になってからは、家内が朝のラジオ講座を聴く程度の出番に止まっています。ほかのラジオも家内の友人宅にいったりで、台数が減りました。でも、9月のブラックアウトの時は頼りになりました。
話は戻って、なぜ、自分が年末の一人出番だったかというと、本来、出勤日の12月30日を休んだ他の職員は、有給休暇を取得していたのです。私には、その有給休暇の残がなかったのです。
当時は、休暇日数は年度(4月~3月)ではなく、暦年(1月~12月)だったので、年末になると年間20日の有給休暇が残っていなかったのです。これだけは、採用から退職まで変わることがありませんでした。
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コメント
それも、今年から28日に御用納めして、今日から新年3日までが年末年始休業。4日から通常営業という風に親会社(そのまた親会社か)と合わせることになりました。新年4日からなんてのは、今までに比べると正月を過ごした気になりませんや(笑)
投稿: しげず | 2018年12月29日 (土) 17時24分
しげずさん
31日~5日にした時は、周辺の町村に合わせるという動きだったのですが、また元に戻したということは、目は道や国に向いていることなのかな?
2日、3日の箱根駅伝が終わったら翌日から仕事というのはねぇ・・・。
投稿: 心太@釧路 | 2018年12月30日 (日) 10時39分