東京の盆の思い出
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今日の釧路 | 8月12日(日) |
日の出 | 4:24 |
記載時間 | 9:10 |
天気 (記載時間) | 曇り |
朝の気温 (5:00) | 15.3℃ |
朝の気圧 (5:00) | 1009.9hPa |
予 報 | 曇りのち晴れ |
予想最高気温 | 21℃ |
今朝の釧路は曇りです。9時の気温は16.9℃です。
今朝のニッポン放送「薬師丸ひろ子 ハート・デリバリー」の1曲目は、中島みゆきさんの「帰省」でした。年2回の帰省を終えて都会に戻った人は優しい気持ちになれる。という歌です。
私にはその実感はありません。というか、東京にいた5年間も、人を押し退けなければ生きていけないような、そんな社会を引っ張るようなポジションから遙か遠くにいましたし、そうなると、周りもそういう人たちばかりでしたから、「都会の生活」という感じではなかったです。勤務時間も11時頃~19時頃でしたから、満員電車にも乗ることがありませんでした。(社員になってからは車通勤でした)
職場はビル管理の会社でしたから、盆と年末はビル全館が休業なので、冷房・ボイラーの点検整備や床洗いの仕事がありました。とはいっても、技術的なことはプロがいましたし、私の仕事は、バイトの現場への送迎と昼食ができる(営業している)食堂を探すことでした。でも、これが、結構、大変でした。
今なら、コンビニにいって弁当を調達すればいいのでしょうが、70年代前半(昭和40年代後半)はコンビニもなく、今でいうデパ地下にも惣菜はあっても、弁当類はなかったと思います。
盆と年末のバイトは、時給が高かったか、別支給の何かがありましたので、帰省時期だから人集めに苦労するといったこともありませんでした。社員にもボーナスとは別に手当が現場で現金支給されました。確か5千円だったと思います。基本給10万円の時代でしたから、ありがたく頂戴いたしました。
ということで、帰省も世間とは時期がずれていたという話でした。あと、東京にいた頃の盆というと、いつもは1時間から1時間半かかる上高井戸のアパートから、外神田(秋葉原)の会社まで20分(中央高速・首都高)いけました。あれは、高速道の価値がありました。
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コメント
東京の生活も2年目になります。週末は自宅に帰れるので楽しみです!
投稿: のび太 | 2018年8月13日 (月) 19時45分
のび太さん
東京も連日の猛暑で大変ですね。
この週末は帰省ラッシュもなくていいですね。
リフレッシュですね。
投稿: 心太@釧路 | 2018年8月13日 (月) 21時07分