補習域外の赤点
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今日の釧路 | 3月22日(木) |
日の出 | 5:23 |
記載時間 | 10:40 |
天気 (記載時間) | 曇り |
朝の気温 (5:00) | 0.9℃ |
朝の気圧 (5:00) | 1016.6hPa |
予 報 | 曇り夜は雪 |
予想最高気温 | 4℃ |
今朝の釧路は曇りです。10時の気温は3.3℃です。
今朝、PCを起動したら、タスクバーにあるDropboxが「接続中」のまんまでした。通常は、少し待てば「最新の状態」になるのですが、そうなりませんでした。Yahoo!のリアルタイム検索でチェックしたら、再起動で復活という書き込みがあったので従ったらOKでした。まずは安堵ですが、定期のローカルファイルのバックアップを臨時にしておきました。
昨日、2002年(H14)3月の日記を読み返して、春分の日のことについて書きました。その翌日の日記には、職場のPCが壊れたこと、年度末で代わりのPC購入を急ぐので、業者さんに即納可能な機種と指定したら、日立のFLORA 270GX(ノートパソコン)が納品された。と、ありました。
これ、全く記憶にありません。もし、日立のFLORA使ったことある?と問われたら、自身を持ってNOと答えると思います。おそらく、仕事が一段落した時、FLORAをどこかに回して、自分用は東芝のダイナブックを購入したのではないかと思います。
個人ではThinkPad (この時期は、まだIBMでした)を使っていたのですが、職場で購入となると、見積でNECや富士通などを上回るので、ThinkPadを購入したのは、IBMでなくなってからでした。もちろん、私は使っていません。
国鉄のチッキのことで、赤帽さん、赤玉の布団袋と続きましたが、赤で思い出すのは赤点です。赤点は追試験+補習でした。一番苦手な教科は数学でしたが、当然 ( と胸を張ることではないのですが )、テスト60点以下の連発 ( というか、60点以上を取ったことがなかった )でしたから、筋金入りの赤点でした。
ちなみに我々の時代は、高校受験は9教科だったので、数学の分は、なんとか他の教科で補えたのです。その後、間もなくして、音楽、美術、保健体育、技術家庭が入試科目から外れましたから、もし、その時だったら志望校を変更せざるを得なかったかもしれません。そのくらい数学はダメでした。
で、数学は夏休みの補習となったのですが、1年生だった私は、吹奏楽部の練習を休むわけにはいきません。パートが2人しかいないチューバだったので、パートリーダーである先輩の写譜もありますから、時間的に補習が入り込む隙間がありません。
そして、2年生に進級する時、ドキッとする事実を知りました。学年で3~4人が札幌と旭川の私立高に転校したというのです。それは落第だから。ホント、ドキッです。数学の補習をさぼった私は、その後も赤点街道まっしぐらで、2学期、3学期を終えていたのです。
落第の基準が、赤点教科幾つとか、出席日数云々というのは知らされていなかったので、どこでセーフだったのかはわかりません。温情があったのかもしれません。
2年生になったからは、補習にもお呼びがかからないほどの点数になって、3年生の時には「氏名」の欄に〇をいただいて、零点を免れるということもありました。それでも、3年で卒業ができました。まあ、大らかでいい時代だったということなのでしょう。それからも、卓上電卓の登場、ロータス1-2-3、そしてEXCELと、これまた時代に助けられています。ありがたいことです。
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コメント
パートが二人しかいなくて先輩の写譜は辛いですね(^^
私は高校から付属の大学に進学する試験の終わった後、吹奏楽の顧問に呼び出され「俺(先生)の恩情で合格したのでOBになっても指導に来るように」と言い含められました(^^
投稿: 長老みさわ | 2018年3月22日 (木) 14時04分
ご長老
高校の事務に青焼きがありましたが、通常は使えなかったので、ひたすら写譜でした。
我々の時は、顧問ではなくOBの指導だったのですが、時代が変わって、OB、父兄といえども、日常的な学校への出入りができなくなり、これも途絶えたようです。
投稿: 心太@釧路 | 2018年3月23日 (金) 07時45分