ラジオを聴きながら
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今朝の釧路 | 6月14日(水) |
記載時間 | 11:00 |
日の出 | 3:42 |
天 気 (5:00) | 晴れ |
気 温 (5:00) | 8.8℃ |
気 圧 (5:00) | 1009.3hPa |
予 報 | 晴れ時々曇り |
予想最高気温 | 14℃ |
今朝の釧路は、晴れ時々曇りです。11時の気温は、13.6℃です。ちよっと雲のほうが優勢になってきました。
手帳を開くと、16日、30日、来月の9日、13日にイベントの予定が入っています。この中で、自分がメーンなのは、来月の13日だけです。なので、今日は、一昨日、昨日と出面が続いたので、疲れ休みの日にしました。と書くと、忙しがっているように思われそうですが、単に2日続けて働いたら、休まずにはいられない。というだけです。
それで、今、radikoのタイムフリーで、「吉田拓郎 ラジオでナイト」を聴いています。テーマは、学校の先生です。冒頭にリスナーから、英語の先生は東北弁の英語だったという話に、拓郎さんの英語の先生も似たようなものだったと語っていました。
私は、高校1年の時の担任が、英語の先生でした。中学校までの担任と違って、クールというか、高校なのだから、、生徒を大人扱いしているのかなという感じでした。なので、生徒一人一人には関心も薄いのだろうと思っていました。
そうしたら、一学期が始まって間もない英語の授業で、その担任が、唐突に私に「真鍮」の単語は?と問いました。私は答えられませんでした。「なんだ、ブラスバンドに入って、『ブラス』の意味を知らないか」と言われました。それで、担任は、生徒がどこの部活に入っているのかを把握していることを知りました。意外に思ったのと、嬉しかったことを覚えています。
そういうこともあって、高校の先生というと、この先生が思い浮かびます。北海道学芸大学(現在の北海道教育大学)を卒業して、教師になり、その後、東京外国語大学で学んで、再び教壇に立ったという人で、当時は珍しい英語が喋られる英語の教師で、生徒も別格という感じで接していました。
2年生になる時、その担任は進学コースの担任になったので、授業を受けることもなくなったのですが、今も記憶に残っていることがあります。それは、当時(昭和40年代前半)の世相の影響を受けて、高校でも、生徒から校則を見直そうという動きがありました。
市内の高校では、勉強の一番は山の上、スポーツで一番は私立高、だけど、自由な校風は随一という学校だったので、そういう動きになったのだと思います。で、あれこれ校則がどうのこうのとやっている時、この先生が、「校則は必要なものか?」と言いました。
目から鱗というか、直すことばかり考えていた生徒たちは、・・・・となりました。それがきっかけだったかは覚えていませんが、校則云々はそのまま消えたと思います。その翌年、学帽は被るも被らないも自由になったのですが、この時の動きと関連があったのかも記憶にありません。
それからもう一つ覚えていることがあります。なぜ、大学にいくかということです。高校で自分が関心があることが定まってくる。それを大学で学ぶと、知りたいこと、わからないことをどうやって調べたらわかるか、それが身につく。そうしたら勉強が面白くなってくるし、ものの見方の幅が広がる。といったことを話してくれたと思います。
今、同期を見渡すと、先生のこの言葉を実践したと思えるのは、3~4人でしょうか。もちろん、私は入っていません。昔も今も、関心事は、食べることだけです。一途にこれだけです。
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