牛乳
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今朝の釧路 | 2月22日(水) |
記載時間 | 12:10 |
日の出 | 6:10 |
天 気 (5:00) | 晴れ |
気 温 (5:00) | -6.5℃ |
気 圧 (5:00) | 1021.3hPa |
予 報 | 晴れのち曇り |
予想最高気温 | 0℃ |
今日の釧路は晴れです。釧路川には氷が浮いていました。蓮の葉氷のようなきれいな形には見えませんでした。
ラジオで聴いた「今日は何の日」。1950年(昭25)の今日、牛乳・バターなど乳製品の価格統制が廃止になっています。占領下、自由販売に転じた日ということです。
全国乳業協同組合連合会のホームページにある「牛乳の知識」には、【引用開始】昭和33年頃から学校給食にも取り入れられ、多くの児童生徒が牛乳になじむきっかけとなりました。【引用終了】と、ありました。
昭和33年というと、私が小学校に入学した年です。でも、小学校の6年間、牛乳が給食に付いた記憶はありません。牛乳ではなく、戦後の歴史に燦然と輝く脱脂粉乳でした。
「脱脂粉乳」を検索すると、Wikipediaに、札幌の学校給食から消えたのは、1963~1964年(昭38~39)とありましたから、釧路では、私が小学校を卒業した1964年(昭39)には、確実にありました。
牛乳と脱脂粉乳は、まったく異なります。分類云々ではなく、飲み口のことです。目黒不動参詣に出かけた殿様が、近くの農家で口にした秋刀魚と、後日、自ら所望して出てきた日本橋魚河岸の秋刀魚くらいの差があります。
その牛乳を学校で飲むようになったのは、私が、中学2年生の時でした。この年(1965年 昭40)、釧路は革新市政になりました。その新市長の公約の一つであった「中学生に牛乳を与える」が実現して、昼の時間に1本ずつ牛乳が配られるようになったのです(弁当持参+牛乳)。脱脂粉乳を飲めない級友も多かったのですが、牛乳もダメというのもそこそこいて、私は、小学校に続いて、中学校でも頼りにされました。まあ、代飲とでもいう人助けです。
当時、釧路で牛乳というと、雪印牛乳と旭印牛乳、それに丹頂牛乳でした。よつ葉牛乳は、これら3社の後発だと思いますが、その辺りは定かではないです。銘柄が違うと、なんだか味も異なる気がして、これらの中では、丹頂牛乳が好みだった記憶があります。
わが家では、今も週2回配達の牛乳(メグミルク)を飲んでいます。若い頃は、朝食と夕食に牛乳を飲んでいましたが、今は毎食卓に牛乳というのはありません。
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