ふと思い出した高校時代の友人をネットで見つけた
.
今朝の釧路 | 1月12日(木) |
記載時間 | 6:20 |
日の出 | 6:52 |
天 気 (5:00) | 晴れ |
気 温 (5:00) | -6.7℃ |
気 圧 (5:00) | 998.0hPa |
予 報 | 晴れ |
予想最高気温 | -6℃ |
今朝の釧路は晴れです。最低気温は1桁台ですが、予想最高気温が-6℃です。
昨夜、趣味の遠距離受信( AMラジオ )をしている時、ふと高校時代の友人 S・Kを思い出しました。高校を卒業して47年会っていません。
高校1年の時、彼が物理部にいることは知っていましたが、会話をする仲ではありませんでした。ある日、私が音楽室に通じる廊下で、チューバの練習をしていると、彼がやってきました。そして、「オールナイトニッポン聴いてるよね 」と言ってきたのです。当時 (昭和42年)は、深夜放送がお色気路線から、今のスタイルのパーソナリティーによる放送に変わった時でした。
高校生の多くが聴いていましたが、北海道では、東京のキー局ではなく、札幌ローカルで深夜放送の番組があって、これが人気を博していました。当時は、ひとつのパターンがあって、「釧路〇〇高校□年□組の XXXXから、△年△組の××××さんへ ピンキーとキラーズの 『恋の季節』を贈ります 」 なんていうリクエストが盛んでした。
私はというと、中学3年のお年玉で買った登山用ラジオで、東京の電波である「 オールナイトニッポン }を聴いていました。当時は、送信出力が今の半分だったので、電波の状態はあまり良くなかったのです。ですから、雑音混ざりの放送を聴くのは、物好きの少数派だったのです。物理部無線班のS・Kもその一人でした。
なぜ、S・Kは、私が東京の放送を聴いていることがわかったのか?それは、私のラジオネーム (当時は、こういう言い方はしなかった )が、本名の前に 「 そら来た!」を付けただけのものだったからです。
以来、S・Kと友人になり、文化祭の実行委員を一緒に務めたのですが、彼はどこの大学も受験せずに札幌の予備校にいったのです。そして、卒業式を終えると、早々と札幌に越していきました。それから音信不通です。
40歳の同総会(当番期だったので、同期が多数集まった )で、彼の名を出しても、その後を知っている者がいませんでした。で、そのままになっていたのですが、昨夜、ネットで検索してみました。
そうしたら、ある企業の役員として、顔写真も載っていました。間違いなく S・Kです。てっきり、技術者になっていると思ったのですが、コンサルティングとして名が載っていました。ひょっとしたら、定年までは技術者だったのかもしれません。
さて、どうするか?会社に電話をして、「あやしい者ではありません。S・Kさんと高校の同期だった者です。」と言ったところで、今の時代、つないでもらえるとは思えません。彼がSNSでもやっていれば、そこからメッセージを送ることが出来ますが、facebookではヒットしませんでした。あとのSNSでは、本名を使っていないでしょうから、ちょっと難しいです。はて、どうしたもんじゃろのぅ~。
| 固定リンク
コメント