8年半ぶりに「地下鉄に乗って」
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今朝の釧路 | 4月19日(日) |
記載時間 | 10:10 |
日の出 | 4:35 |
天気 (5:00) | 曇り |
気温 (5:00) | 2.4℃ |
気圧 (5:00) | 1009.5hPa |
予報 | 曇り時々晴れ |
予想最高気温 | 11℃ |
今朝の釧路は、晴れたり曇ったりですが、9時頃から雲が優勢になってきました。10時の気温は9.7℃です。予報どおり最高気温が2桁台になると、4月4日以来、15日ぶりということになります。
昨日は、日ハムの試合展開(デーゲーム)が、もどかしかったです。これは、前日に斎藤佑樹を先発させたからです。監督が、変な余裕を見せたので、ナインのリズムが崩れてしまいました。栗山、わかってないなあ。と、小言を言いながら、録画した映画を見ました。
2006年公開の浅田次郎さん原作「地下鉄(メトロ)に乗って」です。映画館にいった時の日記を開いたら、同年10月30日に見ています。
【2006年10月31日の日記より】昨日は、映画「地下鉄(メトロ)に乗って」を見てきました。『いつもの地下鉄を降りると、そこは昭和39年の東京だった』。浅田次郎原作、篠原哲雄監督の作品です。主演は堤真一さん、岡本綾さんです。堤真一さんは、「三丁目の夕日」では、昭和33年の東京に暮らしていました。今回は昭和と平成の街を往き来します。
昭和39年の新中野駅出入り口の近くには、映画館「オデヲン座」があり、「上を向いて歩こう」と「キューポラのある街」の看板がかかっていました。この二つの映画は、貧しくても明日への希望がある。額に汗して働けば明日が拓ける。そんなことを描いた作品でした。確かに昭和30年代の日本には、そう思える社会がありました。【/2006年10月31日の日記より】
そういえば、この頃、岡本綾さんを見ないなと思い検索してみました。Wikipedia によると、この映画が公開された翌年、引退していました。演技派だったのに残念です。
ラストに近いシーンで、「子に自分の幸せを求める親はいないよ」。という台詞がありました。昭和39年10月5日、東京オリンピック開会式が5日後に迫った時の言葉です。その後、受験戦争に拍車がかかり、そんな親ばかりではない世の中になっていったんだなあ。と思いながら見終わりました。
映画のセットは、当然ながら、昭和39年の東京が再現されたものです。私は、昭和45年の秋から昭和50年の春まで東京(上北沢、上高井戸のアパート、清水坂下のバイト先、外神田の勤め先)にいました。感覚としては、今に近い東京に住んでいた。と、いうものですが、映画を見ながら、実際は昭和39年に近い東京にいたのだな。と、思いました。
映画の中でも、平成の時代からタイムスリップした堤真一さんが、「半蔵門線に乗り換えて・・・」というと、リアルタイムで昭和39年の世界に生きる相手が、 「えっ!ハンゾウ・・・何それ?」というシーンがありました。半蔵門線は、私が釧路にUターン( 昭和50年 )した後に開業しています。やっぱり、昭和39年に近いのです。
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