復帰
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今朝の釧路(5:00) | 1月29日(火) |
日の出 | 6:40 |
天気 | 快晴 |
気温 | -11.2℃ |
気圧 | 1014.3hPa |
予報 | 晴れ時々曇り |
予想最高気温 | 0℃ |
昨日は、研修会がありました。隣席の先輩が、「歳を取ると時間が早くなるというのは本当だ。もう1月が終わる。」と言いました。確かにそうです。知らぬ間に学校の冬休みも終わって、三学期が始まっています。そういえば、センター試験のニュースを見たような・・・。
昨日の新聞にMr.デーブマンの死亡広告が載っていました。Mr.デーブマンは、いわゆるローカルタレントとして、70年代から80年代にかけて、HBC(北海道放送)ラジオで活躍しました。某乳酸菌飲料会社の営業だった1975年(昭50)4月~1979年(昭54)3月の4年間、いつも16時になるとカーラジオで聴いていたのが、「Mr.デーブマンのベストテンほっかいどう」でした。テレビの「ザ・ベストテン」よりも先に始まった番組です。部長席の後ろに掲示してある担当地区別売上前年対比グラフ(紙テープ)を何センチ伸ばせるか。それがすべてだった日々。成績のいい時も、そうでない時も、社への帰路に聴くこの番組は、アップテンポで心地よいものでした。
当時、どんな曲を聴いていたのか検索してみました。かまやつひろし「我が良き友よ」、 バンバン「『いちご白書』をもう一度」、山口百恵「横須賀ストーリー」、荒井由実「あの日にかえりたい」、中島みゆき「わかれうた」、イルカ「なごり雪」、キャンディーズ「やさしい悪魔」、拓郎さん「明日に向かって走れ、ハイ・ファイ・セット「フィーリング」、丸山圭子「どうぞこのまま」・・・といった感じでした。Mr.デーブマン享年68歳。満年齢だと66歳か67歳です。もっと年上かと思っていましたが、意外に近い世代でした。
日ハムを自由契約になった木田が独立リーグ入り。記事によると、木田は復帰のために独立リーグを選んだと語っています。復帰ってどこに?と思ったら、プロ野球に帰ってくるつもりでいます。44歳。大したものです。
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コメント
デーブマン、亡くなられたのですね。
私も、愛国小学校から帰ってきてから、聞いてました。
栄町公園で公開録音があった時、母に連れて行ってもらったこともあります。母が、「あらー、本当に太ってるわね、デーブマン」って言ってたっけ。
ベスト10北海道を欠かさず聞いていたお蔭で、当時の歌の歌詞は、
今でもしっかり覚えています。
もっと他のことを覚えた方が良かったのかもしれないですけど。
投稿: まるちゃん | 2013年1月30日 (水) 08時41分
まるちゃん
デーブマン、テレビCMで時々見かけていたのですが、
それも前のことかもしれません。
デーブマンのラジオ番組は、当時は知らない人がいませんでしたね。
ベスト10もそうですが、深夜放送を含めると、結構な時間、
ラジオを聴いていました。
投稿: 心太@釧路 | 2013年1月30日 (水) 17時32分
私は、「木綿のハンカチーフ」とか、デーブマンを思い起こしますねえ。
この曲紹介をするのは、デーブマン以外にないというか。
♪恋人よ 僕は旅立つ 東へと向かう列車で
釧路から東に旅立つと、根室に行っちゃうけどー。
投稿: まるちゃん | 2013年2月 1日 (金) 08時45分
まるちゃん
「木綿のハンカチーフ」、懐かしいですね。
私は、釧路にUターンした頃でした。
24歳の新入社員として、まだ地区を与えられず、釧路・根室管内を
走っていました。聴きましたねぇ、カーラジオでこの曲。
いやホント、懐かしい。
投稿: 心太@釧路 | 2013年2月 1日 (金) 23時27分