プラモデル以前の話
今朝の釧路は曇りです。5時の気温は16.2℃です。予報は曇り夜遅く雨。予想最高気温は17℃です。
昨日、職場のロビーですれ違った人は、昼間からご機嫌なようすで、手に「いろはす」をぶら下げながら、「♪ エンジンの音 轟々と~」と一節唸ったあと、「てかっ」と締めました。どうみても、戦争体験を持つ年齢ではありません。40代かな?釧路に軍歌酒場があるとは聞いたことないので、どこで覚えたのでしょう。という私も、この歌(加藤隼戦闘隊)は唄えますけどね。そういえば、映画も見ています。そうか、この人も、ビデオでこの映画を見たのでしょう。それであれば納得です。
子どもの頃、木っ端に釘を打ちつけて、戦闘機を作りました。それを持って、炭箱の上にあがり、「零戦だ」、「隼だ」、「飛燕だ」と宣言するのですが、人気の「零戦」は最年長が名乗るので、私の番になると、だいたい「飛燕」でした。ただし、機体は木っ端ですから、どれがどの型かなんて関係ない代物でした。まだ、プラモデルが登場する前の話です。
プラモデルを初めて買ったのは、小学3~4年生(昭35~36)の頃でした。お年玉で、駅前の「ミヤケ模型」にいって、潜水艦を買ったのを覚えています。そして、自分が不器用なだけではなく、組立図を理解する力に欠けることを自覚しました。今でも、カメラのストラップで、金具への紐通しを説明した図なんかは、そのとおりに出来たことがありません。キャンプで使うタープに張り綱を取付けるのも、YOUTUBEの動画を何回も見て、ようやく出来ました。こういう手際の悪さは筋金入りです。
昨夜は、初めて会う人が何人も集まった飲み会に出席しました。皆さん、すぐに打ち解けて、楽しい会になりました。こういうのは、主宰者の人柄が出るものだなと思いました。なるほどと感心した話。腹を抱えて笑った話。気がついたら0時近くでした。一次会5時間という会も初めてでした。
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