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夜明けのうた と お座敷小唄は東京五輪の年でした

今朝の釧路は曇りです。5時の気温は3.3℃です。予報は曇り。予想最高気温は5℃です。

日の出が早くなりました。今日の釧路は4:36です。夜明けが4時台になったんだあ。と、思ったのが今月の4日でした。これが、3時台になるのは5月15日です。そして、6月18日の3:42を境に、翌19日に3:43になって、そこから段々と遅くなっていきます。夏至の21日も3:43です。よ~く見ると、6月は1日が3:46で、30日も3:46です。と、へぇ~気分で書きましたが、なにをあたり前のことを・・・の部類なのでしょうね。

夜明けというと、岸洋子さんの「夜明けのうた」がありました。『♪ 夜明けのうたよ 私の心の 昨日の悲しみ 流しておくれ』です。検索してみたら、1964年(昭39)のレコード大賞受賞曲です。東京オリンピックの時に、この歌が流れていたのですね。この歌を うがい(口や喉をすすぐ あの うがい)で奏でたのが谷啓さんでした。シャボン玉ホリデーかなにかで披露しました。それを真似て、学校の水飲み場で、「夜明けのうた」のうがいが流行りました。

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東京オリンピックの年に流行った歌というと、なんといっても、「お座敷小唄」です。『♪ 富士の高嶺に 降る雪も 京都先斗町に 降る雪も 』です。歌ったのは、天下のあの 和田弘とマヒナスターズでした。たま~にオリンピック中継をテレビ観戦する授業(私は中1でした)があったのですが、その時に、いつもの授業がないというのと、オリンピックに高揚して、浮かれ気分で、♪チャンチャンチャララタッタ チャンチャンチャララタッタと口ずさんだら、皆んなで ♪富士の高嶺に・・・と合唱になって叱られた記憶があります。48年前のことです。

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コメント

あの当時の昭和歌謡を聴いていて、しばしば疑問に思うのは、当時のサラリーマンにとって芸者遊びとかが、どの程度リアリティーがあったんだろう?ということです。

クレイジーキャッツの映画とか見ると、平社員でも部課長級の接待に動員されて大騒ぎとかあったのかな?とか、今で言う居酒屋(居酒屋兆次のような居酒屋は現在は小料理屋と呼ぶべきでしょうね)が出現以前の時代ですから、10人以上の宴会というと料理屋で座敷というのも珍しくなかったのかな?とか。

16~17の女性歌手(まだ「アイドル」の出現以前ですね)が、どろどろの不倫歌歌っていたりもして、当時は「浮気は男の甲斐性」の断末魔の時期とは言え、「あるよねー」という歌だったのかどうか・・

投稿: 長老みさわ | 2012年4月18日 (水) 11時19分

ご長老
実際は、料亭とか芸者さんとなると、一部のものだったのでしょうね。
釧路にも料亭が2~3軒ありましたが、炭鉱、紙、漁業、海運、商社
といった会社の幹部が社費で利用していました。
そういう会社のトップは、画家のスポンサーであったり、音楽家を支援
したりといったことをしていた人たちでした。
余裕があった時代ですね。

多人数の宴会となると、料理屋、料亭とは別に宴会場がありました。
炭鉱、水産、紙、海運、商社は、各々、福利厚生施設としての「会館」
を持っていました。一般社員の宴会は、そういうところでした。
あと、歓楽街で宴会となると、会社提携の大広間がある宴会場を
使いました。

歌謡曲も、まだ疑似体験として耳にしていた時代だったのではないでしょうか。

投稿: 心太@釧路 | 2012年4月19日 (木) 06時31分

そか、よその世界の疑似体験を歌っていた時代から、リアルを歌うようになっった変わり目がフォークソングの到来であり、天地真理ちゃん辺りが売れ始めた時代だと思うと何となく納得できますね。

それ以前でもちゃんとリアルを歌った歌も多数あったんでしょうけれど、数的に逆転するのがこの時期なのかも知れません。

投稿: 長老みさわ | 2012年4月20日 (金) 00時00分

ご長老
いわゆるアイドル扱いされる前は、年端の行かない子供に、敢えて
わかりもしない男女の世界を歌わせて、一種の哀れみをアピールして
いたように思います。
その昔、華やかなに見えるサーカスが、身を置くには怖い存在だった
のと似ていると思います。

フォークソングは、まさに革命だったのでしょうね。
心も社会の慣習も順番も、すべて解放しました。
だから秩序がないと言われましたが、歌った側にすると、
開き直ってみたら賛同者が多かった(通用した)という感があったのでは?

仰るとおり、真理ちゃんも、そのラインだと思います。
「隣の真理ちゃん」でしたものね。
そこから、手が届かない洗練された独創性あるシンガーが台頭して、
時が経つと、またAKBのような身近さを謳ったのが売れてとなっていると思います。

投稿: 心太@釧路 | 2012年4月20日 (金) 05時07分

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