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1970年(昭45)のこと二つ

今朝の釧路は晴れです。5時の気温は-3.2℃です。予報は晴れ一時曇り。予想最高気温は2℃です。

昨日、ネットで40年前の友人を「発見」しました。プロの職業に就いていました。顔写真を見ているうちに、彼の口調が思い浮かんできました。そして、短い間でしたが、ともに行動した数々のことを思い出しました。大根荘四畳半での雑魚寝。城ヶ島へのドライブ。学食でのうずらの卵争奪戦。チェリオVSミリンダ論争(ともに炭酸飲料で、好みが分かれていた)。機動隊に追われて、逃げ出したけど、重装備の機動隊員に追い抜かれたこと(我々ノンポリは、追い払われるだけ)。等々。友人は、現役活躍中です。仕事の邪魔をしないように、昔話や今のことを話したいと思っています。

友人と知り合ったのは、1970年(昭45)です。同じ年に公開された映画に、山田洋次監督の「家族」があります。昨夜、BSプレミアムで放送されました。長崎の伊王島(いおうじま)から、北海道東部中標津(なかしべつ)に開拓(酪農)に入る一家を描いたものです。ほとんどが、その移動を描いたものです。伊王島から、フェリー、電車、新幹線、また電車、青函連絡船、汽車、の強行軍に、東京で乳児を亡くし、中標津に着いたら父が亡くなります。今では、飛行機を使わない移動は考えられませんが、当時はこれが普通でした。私も、同じ年に上京(正確には神奈川県秦野市)した時は、汽車ー青函連絡船ー電車でした。この映画は、主演の井川比佐志さん33歳、倍賞千恵子さん28歳の時に撮った作品です。

1970年は、映画にも登場する大阪万博があった年です。この時代に北海道の開拓が続けられ、そこに入植する人がいたのか?これが、実際にあったのです。高校の体育教師(女性)が、私たちが入学した年に大学を終えて初赴任し、3年後、私たちが卒業するのと同時に、中標津の隣にある別海(べつかい)の開拓団に加わりました。それは、驚きでしたが、根釧(こんせん=根室・釧路)台地のパイロットファームは、1955年(昭30)から始まり、東京オリンピックがあった1964年(昭39)まで、国の計画によって進められた後も続けられていたのです。

根釧台地の中標津、別海は、釧路と根室を三角形の底辺にした頂点辺りにある町です。山田洋次監督は、「家族」を撮った後、「遙かなる山の呼び声」、「男はつらいよー夜霧にむせぶ寅次郎」、「釣りバカ日誌20ファイナル」(脚本)にも、この一帯を登場させています。そして、「遙かなる山の呼び声」にも主演した倍賞千恵子さんは、中標津に家を構え、今も生活されています。台地と酪農風景は、40年前も今も変わりません。

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