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釧路の気温比較と呼び出し電話のこと

今朝の釧路は曇りです。5時の気温は-2.2℃です。予報は曇り。予想最高気温は3℃です。

一昨日は、今年初の真冬日(最高気温-1.7℃)でしたが、昨日の最高気温はプラス0.1℃と連日の真冬日にはなりませんでした。

↓ ここ5年の最高気温と最低気温です。

最高気温最低気温
2007年 30.0℃ -15.6℃
2008年 29.2℃ -19.4℃
2009年 25.7℃ -16.7℃
2010年 32.4℃ -22.1℃
2011年 31.1℃ -15.3℃

ここ5年は、釧路気象台観測開始(1910年、明治43)以来の最高気温10傑に三つ入っています。逆に最低気温が-20℃を下回ったのは1年しかありません。

↓44年~40年前の最高気温と最低気温です。

最高気温最低気温
1967年(昭42) 28.9℃ -20.7℃
1968年(昭43) 27.9℃ -17.8℃
1969年(昭44) 26.0℃ -22.1℃
1970年(昭45) 26.6℃ -22.1℃
1971年(昭46) 27.9℃ -21.1℃


44年~40年前は、最高気温が30℃を超えた年はありません。最低気温が-20℃を下回った年は4年ありました。やはり、暑く温かくなっているのです。

今日の北海道新聞の「卓上四季」(朝日新聞の『天声人語』の欄)に、二代目三遊亭円歌の「取次電話」が紹介されています。家庭に電話があるのが珍しい時の話です。そんな時代に電話を敷設したら、近所だけでなく、一町半離れた人の呼び出しも頼まれた。という内容です。

そういえば、履歴書から(呼)が消えたのは、いつ頃でしょうか?我々世代(昭26生まれ)が履歴書を書いた時代は、電話番号の欄に(呼)がありました。アパートにテレビ、冷蔵庫を持っている学生はいても、電話を敷いている人はいませんでした。ですから、(呼)が普通だったのです。

私が学生の時に住んでいた神奈川県秦野市南矢名の「大根荘」は、管理人の家に電話がありましたが、ハンドルをぐるぐる回して交換を呼ぶ旧式のものでした。当時(昭45)、釧路でも見かけなかった電話器でしから驚きました。

当時は、市外電話の通話料が高価だったので、帰省からアパートに戻った時は、公衆電話から、呼び出し音を2回鳴らして切ったら、「無事着いた」の合図。というようなことをした時代でした。

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コメント

あて先でも「○○様方」が無くなりましたね。
私世代でも下宿では呼び出しでした。
私は学生時代は親元でしたが就職して住んだアパートは電話無し。
呼び出し電話も無しで、友人は「用があったら訪ねてくる」でした。

部活で一級上の先輩は結婚して住んだ新居が大家さんの離れ的な一軒家で住所は「○○様方」。電話はあったかな。

函館時代は、内地への電話は交換台経由だったと思います。

何の映画だったか忘れましたが子供が「ダイヤル式の電話のかけかたが判らない」という描写がありました。

TVのチャンネルは回さなくなって久しいのに未だ「チャンネルを回す」は生きてる気がしますね

投稿: 長老みさわ | 2012年1月 5日 (木) 14時14分

ご長老
そうですね。「○○様方」はなくなりましたね。
下宿、間借りがなくなっていますものね。
私も、就職して住んだアパートは、呼び出し電話もありませんでした。
連絡は、専ら公衆電話でした。
子供が黒電話の数字の穴に指を入れて押したというのは聞いたことあります。
もはや、田舎の博物館などでは、黒電話を展示していますものね。
テレビのチャンネルは、確かに「回す」で通じます。

投稿: 心太@釧路 | 2012年1月 6日 (金) 05時35分

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